AIができることを「人間」がやる意味
6月12日のコラム
こんにちは、さいとうです。
今日は「AIができることを、あえて人間がやる意味とは何か?」というテーマでお話しします。
最近、堀江貴文さんがSNSで発言して話題(というか、一部で炎上)になった内容をきっかけに、僕なりの考えを深掘りしていこうと思います。
事の発端は、堀江さんが大谷翔平選手について言及した際、「社会に何の価値も見出していない」という旨の発言をしたことでした。
これだけ聞くと「大谷選手ほどの実績があるのに、なんてことを!」と反発したくなる気持ちもわかります。でも、堀江さんの真意は単なる批判ではありませんでした。
人は「フィクション」を楽しむ
彼の論理を整理すると、産業革命以前、人間にとっての価値は「速く走ること」や「力強く投げること」のような身体能力にありました。
しかし、テクノロジーの進化によって、車は人間より速く走り、機械は人間より遠くに投げられるようになりました。
それなのに、なぜオリンピックのようなスポーツが残り、人々は熱狂するのか。それは、人間が「フィクション(物語)」に価値を感じる生き物だからです。
AIや機械が圧倒的な効率で答えを出せる時代になっても、僕たちは「人間が切磋琢磨し、ドラマを生み出す過程」そのものに価値を見出します。
つまり、堀江さんが言いたかったのは、「実利的な社会貢献」という物差しだけで測ればスポーツは非効率かもしれないが、人間が作り出す「フィクション」にこそ、現代の新しい価値があるということなんです。
AI時代の考え方
この考え方は、AI時代を生きる僕たちにとっても非常に重要です。
AIは情報の収集や要約、コンテンツ生成において圧倒的です。AIに勝とうとして情報を集めるだけでは、遅かれ早かれ太刀打ちできなくなります。だからこそ、僕は「AIには代替できない体験」を軸にすべきだと考えています。
例えば、僕が経験した離婚の話や、日々のフリーランスとしての泥臭い葛藤。これは世界中で僕一人しか体験していないオリジナルコンテンツです。
AIは情報をまとめることはできても、僕の人生の機微や、そこから滲み出る感情までは代替できません。
これからの時代、AIは「拡張機」として使うのが正解です。僕は自分の経験をベースにした話をポッドキャストで発信し、それをAIを使って記事化・拡散しています。
AIで作業効率を上げつつ、そこに「僕個人の体験」という人間味をスパイスとして加える。この掛け合わせこそが、唯一無二の価値になるはずです。
あえて「人間」がやる
さらに面白い視点として、堀江さんの論理を借りるなら、「AIが完璧にこなせることを、あえて人間がやる」ことにも価値が生まれます。
今の時代、AIを使えば高品質なイラストや文章は一瞬で生成できます。でも、あえて子供が一生懸命描いた絵や、不格好でも魂がこもった手書きの文章に、人は心を動かされますよね。効率や精度だけがすべてじゃない。
その「人間が汗をかいて作り上げた」という物語性にお金や時間を払う文化は、むしろAI時代だからこそ強まっていくのではないでしょうか。
ブログも同じです。AIでいくらでも綺麗で早い記事が作れる時代だからこそ、逆に自分の手で構成を練り、一文一文に人間臭さを込めるという泥臭い作業に、希少価値が宿る気がしています。
AIを敵視したり、あるいは依存しすぎたりするのではなく、上手に付き合いながら、自分らしさをどうプラスするか。
それが、これからの時代を生き抜く術なのかなと改めて感じました。
AIがどれだけ賢くなっても、僕たちが人間である以上、最後は「物語」を楽しみたいという本質は変わりません。AIをうまく使いつつ、泥臭い人間力を忘れずにコンテンツを作っていこう、と自戒を込めて思っています。
皆さんは、この「AI時代の人間価値」についてどう考えますか?堀江さんの発言に対する正直な感想や、皆さんの意見があればぜひコメントやいいねで教えてください。
では。
※本文章は、AIに音声配信を文字起こしおよびブログ記事化させたものです。本編は以下をご利用くださいませ。
本メルマガは、【DeFiがもっと身近になる】情報を配信中。読者数は、1,600名突破!無料登録しておくと、新着記事や読者限定コミュニティ情報を受け取れます。

